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原田さんのこと
                                                                               



原田龍二氏との付き合いはおよそ30年以上になろうか。氏が武蔵野美術大学の傍系の美術学園に社会人学生として入学されて以来である。そのころ彼は大手ビール会社退職後、兄の議員秘書等を経て、画家への勉強をいよいよ本格的に始めた時期に当たる。若いころから画家になりたかった氏は、入学時すでにかなりの経験を積んでいて、ある程度の力量を持った学生であったが、基礎をやり直す覚悟だったのだろう。他の社会人学生とともに基礎からのカリキュラムを一から学んだ。そのころすでに独特の作風を備えた学生であったように記憶している。大学兼務の講師を務めていた私は、その後も私的に主催する研究会で30年の付き合いをするようになった。その間、私は指導者の立場であったものの、いつか絵画同好の仲間であり、友人でもあった。酒好きな彼は少し酔った勢いで豊富な経験を語り、僕には時に人生の先輩として相談相手にもなってくれた。月に一度、我々は他の仲間たちと真摯な絵画の研究会を楽しみ、終われば酒宴を楽しみ、画学生のようによく語り合った。

氏は誰もが認める通り、温厚で誠実な人柄の人物である。人生の先輩でありながら、決して先輩風を吹かせることは無かった。絵画を愛する同志として芸術を論じ、様々に人生を語った。月に一度の研究会の場は、全員が純粋で暖かい空気に包まれていた。

絵画は描く人間の人柄から人生観までも、まざまざと反映するものだ。僕は近年良い絵への努力とは、「それぞれが持つ純粋で固有の世界観にいかに到達するか」に尽きると思っているのだが、彼もまた作家として不可欠な、強固で明確な美への価値観を持っていた。それは描く対象すべての存在を誠実に、優しくひとしなみに見守ることである。その誠実な眼が作品すべてに通底していて、郷里の富士のやま、街に行きかう人や車、通い慣れた駅の喧騒、公園や花まで、さりげなくあるすべての存在が優しく喜びに満ちている。些末な出来事などではなく、存在そのものが美的な価値を持つ。これは彼の持つ生来の美学であり人生観に僕には見える。

彼は晩年、よくヨーロッパを訪ねた。白い街並みと強い光・影のコントラスト、それは永い歴史の果ての悠久な存在である。彼にとって歴史を内包する影もまた明るく美しい。それは見つめる彼自身の心であり、すべての存在をあるがままに認める優しい眼である。碧い空のもと自然体であり、決して作為によって創られた世界ではない。

絵は誰のためにもある表現の場だ。画布という一つの世界の絶対的支配者は制作者自身である。 
刹那的時間の投影、むき出しの感覚、刺激的造形、過多な情報など作為的絵画の時代性に対峙して、その対極にある自身が生きる環境すべてへの、平穏と恒久的美への希求、これもまた人間の絵画だ。
それは観る側をほっとする幸福感へといざなう。


振り返れば彼は、戦時から戦後のことはあまり多くを語らなかった。しかし画面は語りかける。青春期にあった戦中から戦後の混沌を通過し、今日の社会の繁栄までの経過をつぶさに視て来た氏が導き出した人生の美学だろうか。歴史を経過し、今平穏な中にある自身、そしてまわりの存在。少なくとも僕の接した彼の晩年が彼の絵そのままに、穏やかで幸せに満ちた豊穣な完成の時期にあったことは間違いない。それを彼の作品が如実に物語っている。        
 黒田克正(画家)   2024年初夏
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