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『米寿記念 第10回 原田 龍二個展』画集 「あとがき」より

 若かりしころ・・・旧制静岡高校時代、絵画の魅力に取りつかれ本気で絵描きになろうとしたことがありました。仲間を集めて美術部をつくり、市内のデパートで展覧会をやったり著名な画家を招いて講演会を聞いたりしました。相棒だった小川国夫(故人・後日   作家)とは通学路が同じだったこともあって、人生や芸術について熱っぽく語り合っていました。

 

 戦後間もないころ社会はまだ不安定で、若者は経済的には勿論、思想的にもさまざまな悩みを抱えていました。そんな時、仲間の

一人 S が突然自殺し、それと前後して清水青児(故人・後日彫刻家)が高校を辞めて美術学校に行くと言い出し、大きな衝撃を受けました。

 大学を受験するべきか、絵描きの道を選ぶべきか大いに悩みましたが、結局前者を選び勤め人の道を歩むことになりました。しかしこのことはトラウマとして長く残りました。

 勤めをやめてからやっと、今一度絵にとりくんでみようという   気持ちが湧いてきました。   さっそく旧武蔵野美術学校の流れをくむ 武蔵野美術学園に席を置き絵を描き始めました。経歴も年齢も違うさまざまな仲間たちと一緒に絵を学ぶことは新鮮な喜びでした。 4年の終了後は黒田克正文化塾で研鑽を重ねました。

​ これまで公募展には出さない、画壇には属さない主義でやって

きましたが、これからもこれで行くつもりです。あといつまで絵が描けるかわかりませんが、この世とお別れする時まで絵筆を握っていられたら、幸せではないかと思っています。

                      

                         

                 2014年11月  原田 龍二

 

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